先日久しぶりにチベット仏教の高僧、ゲシェⅮとランチをご一緒した。最後に一緒に食事をしたのは確か去年の7月だったから、ほぼ1年4か月ぶり。コロナ禍でチベット仏教寺院も閉鎖され、講義も休講やオンライン法話になっていたのだった。
ロックダウンの規制が緩んだときに法要や仏行でゴンパには行っていたけれど、僧院のある2階へ上るのは久しぶりだった。19世紀に建てられた螺旋階段の幅は狭く、足の平の骨折を庇いつつ、ゆるりゆるりと上がる。ゲシェの部屋の前を通り、今年初めて訪れる懐かしい僧院キッチンへ。
そこでユーカリやパームツリーの枝間から差し込む陽光を浴びて、鳥の囀りや下のカフェから上がる笑い声を聞きながらお鍋を火にかけ包丁を握るのは、穏やかで平和な風情があって、楽しい。光の静けさのなか仏行をしているような喜びがあった。
誰もいないと思っていたのに、臙脂色の袈裟がキッチンに立っていた。「やあ」と顔を上げて笑ったのは、他ならぬゲシェⅮだった。何をしているのかと手元を見れば、小ぶりのナイフを手に固そうなパンを小さく刻んでいる。「朝食ですか? 私が切りましょうか?」と言ってみたけれど、自分でするからいいとパンの塊を切り刻んでいる。
朝食は朝食でも、鳥の朝食を作っているらしかった。黙々と固そうなパンを切り続ける。その口元が僅かにうごめいているのは、小鳥を祈祷するためにマントラを唱えているのだろう。
何の真言を唱えているのか尋ねようかとも思ったけれど邪魔をするのも気が引けて、下のカフェにコーヒーを買いに行く。テイクアウェイした(オーストラリアではテイクアウトではなくこう言う)カフェラッテかカプチーノを飲んでからランチ作りに入るのが習慣だった。自分のぶんだけ買いに行くのは気が引けて、何か買ってきましょうか?とゲシェに尋ねたけれど、要らないとのことで。
ラッテを手に戻ると、寺院の中庭にゲシェⅮが佇んでいた。穏やかな陽光の下、四角いコートヤードにぽつりと立つ臙脂色の後ろ姿を囲んで鳩たちが次第に集まってくる。きっと毎日ここで餌をあげているんだろうな。
私も毎朝、庭に来る鳥たちに餌をあげる喜びを楽しんでいる。オーストラリアに移住して一軒家に住むようになってから自然についた習慣だった。
我が家にはここ数年マグパイ一家が毎朝やってくる。もともとは4年前に自宅で一人リトリートをしているときに、遊びに来るようになったマグパイと親しくなったのが切っ掛けだった。その子は、私が毎朝コーヒーを庭で飲んでいると隣に飛んできて、テーブルや椅子にとまって、あの独特な声で歌い始めるのだ。あまりに人懐っこいのでマギちゃんと呼ぶようになった。マギちゃんは私の姿を見つけると嬉しくて堪らないというように芝生の上をこちらに向かって尾っぽを振り振り走ってくる。指から直接チーズや果物の切れ端を上手に取っていくマグパイが可愛くて仕方がない。今ではマギちゃんにくわえ彼女の伴侶と成長した子ども(たぶんオスの独身)、それに今年は3羽の赤ちゃんまで生まれて、総勢6人の大家族である。
私は単純に可愛くて、せっかく授かったご縁を大切にしたくて、餌を上げ続けているのだけれど、ゲシェはどういう気持ちで鳩にパンをあげているのだろうか? 鳩の幸福を願って、いや解脱をかな?
鳩にパン屑を落とす臙脂色の後ろ姿に話しかけた。鳩に餌をあげるときの心境ではなく、ランチをどこで食べるかを聞くために。さっき別の僧侶から、最近ゲシェは自分の部屋ではなくコートヤードのベンチでみんなとお喋りしながらランチを取ることが多いから、今日はどこでお昼をとるのか聞いてみた方がいいとアドバイスされたので。
ゲシェがコートヤードと答えたので、なら皆が来る前に個人的な話をしたいと、日本への一時帰国について相談してみた。
私たち家族は毎年この時期に日本に一時帰国するのだけれど、一昨年はダディンの病気で、去年はコロナ禍の国境封鎖でもう3年近くも帰国できずにいる。帰りたいのはもちろんだけど、両親のことも心配だった。二人ともコロナ禍のせいか、ここ2年でめっきり気が弱くなった気がする。そのうえ3年も孫の成長を見逃してしまい、気の毒なほど会いたがっているのだ。無理もない、下の子など前回会ったときには小学生だったのに、もはや中学も卒業なのだから。
だけど私たちが暮らしているのは世界一ロックダウンな都市と謳われた(泣)メルボルン。オーストラリア政府も去年3月から国境を封鎖しているし、内心今年も無理だろうとは思っていた。
それが11月に入って、状況が変わってきたのだった。コロナワクチン接種の普及を受けてオーストラリア政府が遂に国境を開けたのだ! ワクチンの2回接種者に限りPCR検査が陰性であれば自主隔離なしに海外から入国できる!と規制が緩和された。しかもその後、日本政府も入国の際の待機期間をそれまでの14日間から10日間に短縮すると発表した。
そうしてその直後にはなんと日本の自主隔離期間が3日間に短縮される!?という話までもが! メルボルン在住の日本人の友達から「日本の自主隔離が3日間に短縮されたよ!」ってメッセージを貰った夜のことは忘れられない。そのときは未だ娘の大学の関係もあって、年末の帰省は無理だろう思っていた。というのも彼女は2年生ながら奨学金付きで数学の研究プロジェクを獲得して、2月には国際的学会で発表の機会まで得て(コロナ禍でオンライン学会だけど)、夏休みも返上で大学に行くことになっていたので。
ところが娘は―
「ママ、それなら帰れるかもしれないよっ! 実は今日、指導教授から連絡があったの。クリスマスから4週間、ホリデーに入ることになったって!」
「何それっ! オーストラリアが自主隔離なしになって、そのうえ日本も3日間に期間が短縮されて、あなたまで休みが取れるってこと! これはもしかして…」
シンクロニシティではっ!? 天が私たちに日本に帰る時だと言っているのかもしれないっ!?と、私が早合点してしまったことは言うまでもない。
あのときは夜中に目覚めて唐突に思ったのだった。帰ったら、両親がどんなに喜ぶだろうか、と。
思った途端に日本行きが俄然、現実味を帯びて眼前に迫ってきた。もしかすると、オーストラリアのドライフルーツやナッツのごてごて入ったクリスマスプディングじゃあなくて、日本のふわふわスポンジに苺や生クリームのたっぷり入ったクリスマスケーキを囲めるかもっ!?とか。花火やカウントダウンのニューイヤーズイブじゃなく、実家で炬燵に入って年越しそばや除夜の鐘、「ゆく年くる年」を見ながら大晦日を迎えられるかもっ!?とか。
すると初詣やお節料理のお正月、コンビニのおにぎりやファミレスのドリンクバー、温泉や神社仏閣や…。今までどうせ無理だからと封印してきた熱い想いが、思いもよらず掘り当ててしまった温泉のように噴き出してしまったのだった。その夜はもう眠れなくなってしまった。
翌日友達が言っていた「日本の3日間隔離に短縮」についてネットで調べてみた。だけどまだ情報も少なく、内容も様々に炸裂していた。日本の政府機関やメルボルンの日本領事館や旅行代理店にも問い合わせてみたのだけれど、確かなことはわからなかった。厚生労働省の方から教えてもらった専用の電話番号は、世界中から同様の問い合わせが殺到しているので電話が混み合って繋がりにくいかもしれませんが…ってお気遣い通り、何度いつかけても話し中どころか回線にさえ入れなかった。オーストラリアに帰りたくて戻れないオージーが大勢いることは知っていたけれど、世界には日本に帰りたくても戻れない日本人もたくさんいるんだなぁと、改めて実感してしまった。
結局、状況が確認でき次第連絡をくれると言ってくれたメルボルンの日本領事館から回答を頂けたのは10日後だった。3日間に短縮されたのは海外出張などビジネス目的の入国に限り、当面はやはり10日の自己隔離が続くとのことで…。
日本に行きたくて堪らない息子は、それでも行きたいと言い張った。おじいちゃんとおばあちゃんの実家で隔離されるなら本望だし、たとえホテル隔離でもホテルのコンビニに行けて、日本のテレビを見ながら日本のお弁当やお握りを食べることができるなら、自分はそれで十分に幸せだから、と。そりゃあなたは幸せでも、みんなは・・・? だいたい宿泊費3人分でいったいいくらかかるんだ? まだ飛行機の数も少ないし高いし、移動や検疫、全てが順調に進んだとしても、いったい何日ふつーに滞在できるんだろう? 1週間じゃ割が合わないゾ。
そんなことより、コロナ禍で突然また国境が封鎖されてしまったりしたら!? 我が家にはポーちゃんとチャー君、愛犬が2匹もいるというのに、あの子たちはどうなってしまうのか? それに子供たちの学校は? 家を何か月も空き家にして、万が一何かあったら? 去年の家電洪水みたいな事故がないとは言い切れないし。やはり事態が安定するまで…。
それでもこの騒ぎで、すっかり諦めていた年末の日本への一時帰国が俄かに現実味を帯びてしまったのだった。以前にも増して両親の夢も見るようになった。目覚めると切なさが残る、そんな夢ばかり。親のことも心配だし、日本政府の規制が3日間に緩和された暁には、絶対に一時帰国しようと決意を新たにしていた。
そこへオミクロン株のニュース。オーストラリアの報道機関が一斉に新型コロナウィルスの脅威を報道し始めたのは、この前日のことだった。
私の話(ほとんど愚痴)を一通り聞いてからゲシェは静かに、だけどきっぱりと言った。
「日本には行かない方がいい。コロナの状況が落ち着くまではオーストラリアにいた方がいい。今はまだ動く時期じゃあない」、と。
あ、やっぱり…。ですよねぇ。
ゲシェがそういうだろうとは思っていた。オミクロン株の脅威がトップニュースを飾る今、大半の人がそう答えるだろう。自分でも無理だろうとは思っていたのだ。無理だと思いながら聞いてしまったのは、両親のことが心配だったから。ゲシェに、無理して今帰らなくても両親とはまた会える、彼らなら大丈夫だから、と言ってもらいたかったのかもしれないナ。
だけどゲシェは私の両親のことには触れず、今は未だ時期じゃないというようなことを繰り返した。以前ブログに書いたけど、チベット僧のゲシェⅮと私の、お互い訛りの強い英語で交わされる会話には自然限界があって、複雑なことは話せない。ゲシェの足元でパンをつつく鳩たちをぼんやりと見ていた。
鳩たちの半分に、障害があることに気がついた。足の爪がなかったり、指がなかったり、折れていたり、片足の指が殆ど全部なくなって1本指の子までいた。ここは海が近いからネットか何かに足が引っかかってもがいているうちに捥げてしまったのかもしれない。
そういえば、マギちゃんは私と仲良くなって1年後くらいに右足の爪を1本失くして、以来気の毒に、爪無しになってしまった。枝につかまる力が弱いので、嵐の夜などは心配になってしまう。マギちゃんの伴侶は目の上に引っかき傷を作ってから禿げ頭に近づいているし。去年毎晩のようにやって来てはリンゴや人参を食べて行ったポッサムは、怪我で背中の毛が抜け落ちてしまっていたし、片目の子もいる。自然界には医療機関もないから、きっと私たちが思う以上に障害を負ってしまう子がたくさんいるんだろう。
片足の指が1本しか残っていない、一番障害の重そうな鳩がやはり気になった。それでも片足を引きずるようにして全身を左右に揺らし、なんとかバランスを取り取り歩いている。パン屑をついばんでいる。ゲシェⅮが少しずつ、けれどたっぷり周囲にパン屑を落とすので、他の元気な子たちに混じって、その子も食いっぱぐれることもなく食べ続けている。時々ゲシェの落とすパン屑が鳩たちの身体にくっ付いてしまうのがご愛敬だ。1本指の鳩も背中にパン屑を付けたまま無心に食べている。どの子も丸々としているのが微笑ましかった。
木漏れ日の下、パン屑を背中に付けたままひたすら食べ続ける鳩たちを見ているうちに、「まっ、いっか」って心境になっていた。日本に行きたいのは山々だけど、親のことも心配だけど、今は状況的に難しい。難しいのに無理やり事を成し遂げようとすればリスクが高くなるのは当たり前。とにかく今は時期を待とう。心の中でもやもやしていた迷いや葛藤、悪足掻きも消えていた。ゲシェに話して、鳩がいてくれて、良かった。なんだかすっとした。
その日の午後、メルボルン在住の日本人ママからグループLineで連絡があった。自分は最近日本に入国して自主隔離をしているのだけど、さっき政府が国境を閉めるとニュース速報が流れた。外国からの入国はたぶん不可能になるから、これから帰る予定の人は気を付けた方が良い、と。日本政府がイスラエルに続き国境を封鎖したというニュースは、翌朝オーストラリアでも流れた。その後も状況は刻々と変化している。
結局、今年もまたメルボルンで迎える年明け。預けられることもなくずっと一緒にいられるからポーポーとチャー君はとてもハッピーなハズだ。マギちゃん一家も喜んでくれるだろう。両親には国際便でクリスマスカードとプレゼントを贈った。せめてもっと頻繁に電話をかけよう。
唸りたくなる気持ちはあるけれど、大切に迎えようと思う。2022年の年明けは1度きりなのだから。そのうちコロナ禍も落ち着く日が来る。たぶん来年、2022年には日本に行けるだろうナ。
皆様もどうぞ良いお年をお迎えください。
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