Losar Tashi Delek!
2022年―チベット歴で今年の新年は新月の3月3日、日本のひな祭りだった。チベット歴の新年は月の道陰で決まるのだが、チベット仏教ではこの新月から18日の満月までをThe 15 Days of Miracles―奇跡の15日間と呼び、お釈迦さまが弟子たちを鼓舞するために奇跡を起こして見せた、行を積むのに最適な縁起のいい期間だといわれている。
メルボルンのチベット仏教寺院でも恒例のターラ菩薩の法要も開かれ、元旦には「Lama Yeshe Night―ラマ・イェシェの夜」が催されて、通常の活動もほぼ再開された。コロナ禍で2020年3月半ばからほぼ2年間も閉まっていた瞑想セミナーやゲシェによる法典の勉強会なども遂にまた始まったのだった!
今回は、ラマ・イェシェを偲んで開かれた「Lama Yeshe Night」のことを。
ラマ・イェシェLama Thubten Yeshe (1935-1984)は、日本ではあまり、とゆーかほとんど知られてないけれど、コパン修道院とFPMT(Foundation for the Preservation of the Mahayana Traditionチベット大乗仏教維持協会)を創立したチベット仏教ゲルク派の導師である。
どうして今年のチベット歴新年にラマ・イェシェを偲ぶ会が開かれたかというと、38年前の新年、新月も3月3日だった。そうしてその38年前の3月3日に、ラマ・イエシェが亡くなったのだった。修行を積んだ僧侶は死に際しても縁起を整え、日を選んで逝くというけれど、ラマ・イェシェもまさにそれを実践したわけだ。
ウィキペディアを参考にざっと説明すると、ラマ・イェシェは1935年に生まれて、6歳からセラ寺で仏教を学び、59年のチベット動乱でインドに亡命した。亡命後も勉強を続けて、28歳でゲシェ(博士号)の学位を取得。ゲシェ(博士号) のなかでも最高級の資格だったが、ラマはその称号を辞退して活動を続けた。1984年に49歳の若さで亡くなられてしまったが、80年代にセラ寺からHonorary Geshe名誉教授の称号を授けられている。
生前ラマ・イェシェは自らのことをジョークで「Tibetan hippie チベットのヒッピー」と呼んでいたそうだ。というのも彼は西欧諸国から真理を求めて内面の旅に出ていたヒッピーたちに請われて65年からネパールでチベット仏教を教え始めた。ゲルク派の教義は秘儀的なタントラヨーガの教えを含むため、当時のチベット仏教界は、西欧人(しかもその大半はラブ&ピースの長髪カラフルなヒッピーの若者たち)に教えを伝授することに対して、懐疑的な意見が大半だったそうだ。それでもラマは自らに教えを請う西欧の若者たちを拒まず、仏法Dharmaを広めていったのだった。
ラマ・イェシェと彼の一番弟子であるラマ・ゾパ・リンボシェは、次々と押し寄せるヒッピーたちに教えを授けるために、ネパールにコパン修道院を創立した。71年にはそこで最初のリトリート「1か月間の瞑想コース」を開催している。その後も西欧の弟子たちに請われて、アメリカのサンタクルーズ大学など様々な機関でチベット仏教の講義をされた。
75年にラマ・イェシェとラマ・ゾパ・リンボシェはFPMT(チベット大乗仏教維持協会)を創立し、その後も国際的にチベット仏教を広めていった。FPMTは現在37か国に160のセンターがあり、コパン修道院では現在も(今はコロナ禍で中止されているのかもしれないけれど)瞑想コースや様々なリトリートが催されている。
メルボルンで私が法要や経典の講義に参加するチベット仏教寺院もその一つである。ここが自宅から徒歩で5分ほどの場所にあったお陰で、インドやネパールにグルーを求めてスピリチュアルな旅をすることなどなかった私でも、経典を勉強したり、イニシエーションを受けたり、法要やリトリートに参加したりすることができたわけだ。
チベット大乗仏教は顕密兼修なので、たぶんこのセンターがなかったら、家庭や仕事のある生活の場にいながらにして密教の経典を学んだり、秘儀を受けて修行をするのは難しかったと思う。つーか、ラマ・イェシェやラマ・ゾパ・リンボシェ、ひいては西欧諸国のヒッピーなくしては、あり得なかったと思うのだ。
私がラマ・イェシェのことを知ったのは今からほぼ四半世紀前、メルボルンに移住して2年ほどが経ったころだった。そのとき私は夜一人で瞑想していた。いつもは自分の書斎の瞑想コーナーで瞑想するのだけれど、その夜はリビングルームに瞑想用クッションを持ち込んで瞑想していた。
十分ほど瞑想しただろうか。ふいに向こうから何か得体のしれない邪悪なものがこちらめがけて近づいてきた。それが何かは判らなかったけれど、とてつもなく真っ暗で、大きくて恐ろしい存在に背筋がゾっとした。心臓がバクバク鳴って、筋肉は硬直し、全身から冷や汗が噴き出した。直ちに逃げ出したかったけれど、本能的に、今目を開けて瞑想を止めてしまうのは危険すぎると直感した。目を開けてしまったら、後でその存在が戻ってくるような気がして、どうしていいかわからずパニックになってしまったのだった。
そのとき私の目の前に一人のチベット僧が現れた。その顔は、そのころ瞑想セミナーに参加するようになっていた近所のチベット仏教寺院のゴンパに飾られていた写真の僧侶だった。飾られていた4人の僧侶のうち一人はダライラマ法王だったけれど、他の3人は知らなかった。その中の一人、にこにこと子どもみたいに無邪気な笑顔で合掌している丸顔の僧侶の顔が、閉じた瞼の裏に大写しになったのだ。
私の正面に現れたその僧侶は、ゴンパの写真そのままに驚くほど無邪気に、温かく、やさしく、あっけらかんと笑っていたが、そのまま彼の笑顔に意識の焦点を当てるようにと伝えてきた。そうして自分が自宅ではなくチベット仏教寺院のゴンパで瞑想していると考えるようにと誘導してきたのだった。
彼の笑顔に引き込まれるかのように、心がゴンパの中へと引き込まれていった。辺りがどんどんと明るくなって光に包まれ、いつしか私は金色の仏像や美しいタンカの並ぶゴンパの中にいた。そこで瞑想しているような気がしていた。いつの間にか、恐ろしい気配は消えていた。もう安全だと目を開けたときには、全身冷や汗でじっとりと濡れていたのだった。
瞑想をしていてあんなに恐ろしい体験をしたのは、後にも先にもあのときだけだ。あのとき目の前に現れたチベット仏教僧が、ラマ・イェシェだったのだ。こんな話を息子にしたら「おばさんなのに中2病だ」と笑われること請負だけれど、ラマ・イェシェに助けられたような気がしていた。
それでその後、名前も知らなかった彼のことを仏教寺院で訪ねて、無料で配布されていた冊子をもらってきて読んだのだった。『Becoming Your Own Therapist』(あなた自身のセラピストになること)と、『Make Your Mind Ocean』(心を大海にする)だった。
そこには60年代に西欧から真理を探究して旅をしていた、いわゆるヒッピーたちに請われて、ラマ・イェシェがされた法話が記されていた。私たちが自分の心と感情に向き合って、温かな心を育み、現実に対する明確な理解を深めるための実践的で深遠なアドバイスが綴られていたのだった。
それは仏教的バックグラウンドの無い西欧の若者たちに向けられていたためか、法典の講義や法話というよりもむしろ哲学や心理学だった。そのうえ当時はチベット語と英語の通訳者がいなかったようで、ラマ・イェシェは英語を使っており、その語り口は極めてシンプルだった。ダライラマ法王の話では、ラマ・イェシェはヒッピーたちの到来前に既に独学で英語を学んでいたらしい。
ラマのそのシンプルにしてストレートな英語は、私の心のど真ん中に直球で入ってきた。当時はオーストラリアに移住したばかりで英語にも慣れておらず、日本では別段仏教徒でもなく、しかも慣れない移住生活に圧倒されヘコミがちだった自分に、ラマ・イェシェの話はグイグイ心に染みわたってきたのだった。励まされたのだった。
そう、ラマ・イェシェを世界へと引っ張り出してくれたのが、60年代に世界へと内面の旅に出ていた西欧のヒッピー「Love & Peace」の若者たちだったのだ。ラマ・イェシェに限らず、ヒマラヤ山脈に閉ざされたチベットの地で仏教を極めてきたチベット仏教のマスターたちは、チベット動乱でおりしもインドやネパールへ亡命し、亡命先の地で仏行を続けていた。
その彼らを「Love & Peace」の若者たちが世界へと連れ出し、それぞれ自分たちの国に引っ張って行ってくれたのだった。センターや寺院を設立して、皆がその教えを学べるように尽力してくれたのだ。彼らがいなかったら、私がダライラマ法皇からイニシエーションを授かることも、リトリートや講義に参加することもなかったと思う。
3日に催されたラマ・イェシェ・ナイトでは、彼に師事した数人の生徒たちがラマ・イェシェに関する思い出話をシェアしてくれた。会場にはラマ・イェシェの伝記「BIG LOVE」を書いたAdele Hulseアデルさんもいらしていた。
「ビッグ・ラブ」(冒頭の写真です)はタイトルそのままに上下巻合わせて約1400ページ、厚さにして8センチ、寝転んで読むなんてあり得ない、持っているだけで筋肉痛になりそうなほどボリュームたっぷり、読み応えのある本だ。アデルさんは執筆になんと20年間もかけたという。
実は私も2年前、コロナでビクトリア州がロックダウンに入ってしまったときにこの本を買って、少しずつ読んでゆこうと思っていた。なのに未だに読んでいなかった…のを先月ちょうど読み始めたところだった。ふっと思ったのだ。今読まずして、いったいいつ読むのだ、と。
スピーカーの中に生前のラマ・イェシェに会ったことがないという女性が一人いて、この本のことを語ってらした。著者のアデルさんがいきいきと描写しているうえに写真も多いので、この本を通して自分もラマ・イェシェとの旅を体験しているような気がしたのだ、と。
私も、できることなら存命中のラマ・イェシェに会ってみたかった。彼の講義を聞き、そのリトリートにどっぷりと浸りたかった。けれどそれは叶わぬ体験なので、この本を通してラマ・イェシェのエネルギーに浸れたら嬉しいな~と思っている。まだ前書きしか読んでいないけれど(なんとダライラマ法王とラマ・ゾパ・リンボシェが寄稿されている!?)、これから少しずつラマとの時間を重ねてゆこうと思う。
2022年、今年はどんな年になるのだろう、コロナも落ち着いて、一昨年や去年よりは明るい年になってほしい、なるだろう、と願っていた。けれど世界は今、予期しなかったほど悲惨な、恐ろしい現実に直面している。ともすれば無力感に圧倒され鬱々としてしまいそうな毎日…。
だからこそ心は明るく、平常心を保たなくては、と思う。そうして微力でも自分にもできることをしてゆくしかないのだ、と。
YouTubeで「Laughing with Lama」というラマ・イェシェの2分内のショートクリップを見つけました。
最近ちょっと肩に力が入り過ぎて心が固まり過ぎてしまったかな~とか思ったらちょっと一息、ラマ・イエシェと一緒に笑ってみてください。
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