タントラ・ヨーガの「ニュンネ・リトリート」が5月最後の週末に3泊4日(足掛け)で、チベット仏教寺院で開催された。チベット歴ではサカダワ月―修行の功徳が何倍にもなるという4の月―に入っていたから、ニュンネ行をするには縁起の良いタイミングだった。
ニュンネとは慈悲の化身、千手観音に帰依して慈悲の心を育む、浄化のタントラ行のリトリート。3泊4日といっても金曜の夜はオリエンテーションで、本格的なセッショに入るのは土曜日の早朝5時から。2時間半から3時間ほどのセッションを月曜の夜明けまでに8回実践するの。
内容は経典やマントラの詠唱、瞑想や観想やFull-length Body Prostration(全身で行う五体投地)なのだけど、そこに絶食や絶飲、無言の行とかいろいろと戒律が課せられるので、なかなかキビシイ行なんですよ。ちなみに断食は土曜の正午12時からで、断飲の方は僧院の慣習によって異なるそうだけど、土曜の夜ベッドに入ったとたんとか、深夜0時からだと言われている。一番緩い説で日曜の夜明け前からね。
私はニュンネ・リトリートが好きで、過去に何度も参加している。断飲による喉の痛み、空腹や不眠、ほぼエクササイズ状態の五体投地からくる筋肉痛に苦しみつつも。それでもリトリート中に起こる圧倒的な気づきや不思議な体験、ニュンネ明けに頂く1杯のチャイの神々しいほどの美味しさ。なによりも月曜の早朝3時から始まる最終セッションなんて、疲れ果ててゾンビ状態だったのが、終わってみれば全身にエネルギーが漲って、心には揺るぎない達成感と満足感が広がっている。それこそ高原の青空みたいに清々しい多幸感が堪らないのよ。
とはいえ最後に参加したのは2020年の頭。以来コロナが蔓延して、2年間ほどニュンネも中止となり…。自分も足の平を骨折したり、日本への一時帰国と重なってしまったり、私自身は3年も参加していなかった。
そのニュンネが開催されると聞き、参加したいのは山々だったものの躊躇していた。足の平の骨折がまだ治っておらず、五体投地をするのは難しそうだったし。それと今年1月末から別のタントラ・ヨーガのリトリートに入っていたので、二つ同時に実践するのも難しそうで…。
つーか、現実的に無理そうだった。毎日2時間半ほどその行に入るうえに(母の供養と自分の心の整理もしたくて始めたのだけど、お陰でただでさえ慌しかった毎日がパンク状態デス)、修行場の問題もあったから。タントラ・ヨーガのリトリートは洞窟に一人籠ってする修行よろしく1度始めたら毎日同じ場でしなくてはならず(ちなみに自宅の書斎の瞑想場でしております)、ニュンネをするからといってチベット仏教寺院に寝泊まりするってわけにはいかない。かといって、最終セッションは深夜3時に始まるし。自宅から通いで参加して、断食断飲中の真夜中に寺院まで運転するなんて…。考えただけでも事故ってしまいそうで恐ろしすぎるもんねぇ。
そんな折、ニュンネ開催のお知らせを聞いた息子が「ワシ(最近、息子は自分のことをこう呼ぶ ^ ^;)、今年は参加するわ!」と言い出した。飲めないとか厄介な戒律の入らない土曜のセッションだけやるつもりなのかと思ったら、全てやるつもりだと言う。
「本気ぃ? 学校はどうするつもりなのよ?」
まだ高校生だし、受験生だし、母親としては手放しで了承するわけにはいかないでしょ。オーストラリアでは高校1年生から受験に入る学校も多く、国立大付属高校2年生の息子も今年は2科目が最終試験に入る。そのうえ彼には喘息の問題もあるし。断食断飲、五体投地の修行でいつ深刻な発作を起こさないとも限らないものねぇ。
「それなら大丈夫だよ。現地校の方はいつも通りに家を出て学校に行けるから。だって月曜の朝6時には終わるでしょ」
「そうは言ってもねぇ。ちょうど前期の試験週間に入る時期よねぇ。ニュンネは大学生になってからやればいいんじゃあないの?」
「だからだよ。これから受験の方がますます忙しくなるから、どうしても今のうちにやっておきたいんだよ。来年はそんなチャンスもないでしょ」と、その決意は思いのほか固く―
ふっと、「自分もニュンネやる!」と言い張っていた小学生のころの息子を思い出した。
あれから何年も経って、マシュマロみたいだった丸顔はいつの間にか引き締まり、小さかった背丈も私よりずっと高くなって、それでも今もニュンネをやってみたいと言っている。高校生になって、女の子と旅行に行きたいとか、友達の別荘で開かれる週末のお泊りパーティー(保護者不在)に行きたいとか言っているわけじゃなく、千手観音のタントラ・ヨーガ修行に参加したい、と。なにか、感慨だ。その決意が固いのならば…。
早速翌日寺院に電話をして、息子の予約を入れようとした。ところが、今年は空き部屋がなくて男性のアコモデーションは用意できないのだという。参加したい男性の方には通いでお願いしているとのことで…。
息子が通いでできるとはとても思えなかった。月曜など早朝3時開始(って、これはもはや早朝と言うより深夜でしょ)に始まるっていうのに、絶対無理だわ。もはや諦めてもらうしか…。
そうは思ったもののダメ元で、息子がまだ高校生であること、初めてのニュンネであること、通いでやるなんてとても無理だろうことを強調して、なんとか部屋を用意してもらうわけにはいかないだろうかと頼んでみた。
するとその数日後に思いもよらず寺院の方から連絡が来たのだった。急遽ライブラリーを解放して、そこに息子のためにベッドを用意することになった!と。
一方私の方は、フル参加は諦めて、土曜日のセッションにだけ参加することにした。週末だけとはいえリトリート二つっていうのは、やはり…。何事も「中道」ですよねぇ。Middle Wayも仏教のキホンですから。なので、今年はニュンネに参加すると言っても、断食断飲も無言の行も、守らなければならない八戒もなくなったわけデス。まあ、「それはもはやニュンネではない」って話もあるけれど。千手観音様のセッションだけでもやれればいいかな、と。
ともかく金曜の夜は息子と一緒に準備のセッションに参加した。それから息子が泊めてもらうことになった部屋を見せてもらったら、思いのほかのゴージャス空間だった。私がニュンネで泊った部屋なんて、いつもガランとした空き部屋か倉庫を改造したような空間で、そこにマットレスがすごい密度で直置きされていた(つまり数人で雑魚寝状態ね)。けれど息子の部屋にはベッドが二つ(寝具付きで)置かれていたのだった!
そのうえ元々ライブラリーなだけあって、本棚に埋もれるほどの仏教本やスピリチュアル本。そこかしこに仏様や観音様の仏像や絵画や曼荼羅が飾られている! こ~んなに波動の高いところでニュンネしたら、神聖に素晴らしい夢見とか楽しめそうでしょ。
しかもルームメイトは一人だけ。どんな人だろうかと思っていたら、知人のJさんだった。うちの子たちと同じ年頃の姉妹のいるお父さんで、チベット密教歴の長~い穏やかな方だ。彼が一緒であれば大丈夫だろうと安心して、息子を置いて一人帰ってきた。
だけどその夜はやはり気になってしまって眠れなかった。ちゃんと眠れているかな?とか、明日の朝は早朝5時開始だとか言っていたけれど、ちゃんと起きられるのかな?とか、Jさんに迷惑かけてないかな?とか、片頭痛とか喘息の発作に襲われていたら…とか。
自分がニュンネしたときよりも遥かにナーバスになっている自分に気がついて苦笑してしまった。よく親は、子どもがいくつになってもそこに幼いころの面影を見てしまうから心配になるのだというけれど、本当にその通りだと思う。高校2年生になった息子の向こうにクリーム色のアンパンマンのトレーナーを着た2歳の息子を見てしまうんだ。3歳のムウ、5歳のムウ、7歳の―
心配しても仕方がないので、息子のことはニュンネのご本尊、千手観音様にお任せして、その夜は観音様のマントラを唱えつつ眠入ったのだった。
翌日、私は戒律をとらないので宣誓のある早朝のセッションには参加せずに、2回目のセッションから参加した。今回は30人ほどが参加するのだと聞いてはいたが、いつものニュンネよりゴンパの密度が高かった。右足の平を庇って、座の組み方や五体投地のポスチャーに気を遣いつつ、3年ぶりに懐かしいセッションをした。とはいえ、2回だけ。やっぱり泊まり込みでみっちりやる行と、こんなふうに飛び込みで参加するものとは全然違う。それでもBetter than Nothingで、参加できたことを喜ばないとね。随喜の行ですわ。
息子はといえば、ふつーに元気で、しっかりと行をしていた。昨夜は夜もぐっすりと眠れたし、目覚まし時計で朝もきちんと起きられたし、問題もないと言う。それでもセッションの合間に、聞かれてもいないのにアドバイスをしまくってしまった。明日には飲めなくなるから今日のうちにしっかり水分補給をしておくんだよとか、睡眠は十分にとるんだよとか。たとえ眠れなくても、横になって目を閉じているだけで身体は休めるんだからね、とか。最後に月曜のお迎えの時間を確認してから私だけ寺院を後にした。学校に間に合うように6時半前には迎えに行くのでパッキングは済ませておくようにと念を押しつつ。
これで自分のニュンネはあっさりと終わった。辛いこともなかったけれど、カンドーもなく。当然、不思議な体験もなく―
ともかく、息子の方は大丈夫そうだし、それからはもう心配することもなく。翌日は、絶食絶飲無言の行に勤しんでいるだろう息子をよそに、娘と二人ランチに出かけて、ベトナム料理とお喋りを楽しんだ。そうしてその夜―
クッションの上に寝転んでいた愛犬ポポちゃんを抱きあげようとしたとき、ギクッ。腰に鈍い痛みが走ったのだった。そのまま鈍痛が奥へ奥へと浸透してゆく感覚に怯む。経験からいってマズイ!兆候だった。ともかく起きたら治っていることを願い、その夜は痛み止めを飲んで眠ってしまうことにした。
だけど翌朝目覚めたら、痛みはますます酷くなっていた。ベッドから起き上がるのがやっとで、とても息子のお迎えに運転なんてできそうになかった。
息子の携帯にメッセージを入れてみたけれど返信もなく、頃合いを見計らって電話を入れてみたけれど留守録が作動するばかりで。そうこうするうちお迎えの時間が迫ってきてしまった。もうこうなったら友達に電話して頼むしかないと電話をしかけたとき、玄関のチャイムが鳴ったのだった。
「もしかして、ムウじゃない!」娘がドアを開ければ、玄関先に息子が立っていた。
夜も明けきらない薄暗い空の下、大きなスーツケースと、寝具のパンパンに詰まった旅行用バッグと瞑想用の特大クッションを両手に抱えて、ひょろりと突っ立っていた。
「え~、どうやって帰ってきたの!? え、タクシー呼んだ?」と、私。
「歩いて帰ってきた。時間になっても来なかったから。待っていて学校に遅刻したくなかったし」
「え~、ごめんねぇ! ママ昨夜、腰痛めちゃって。お迎え行けなくて。電話したんだけど通じなくて」
「いいって。携帯のプリペイ入れ忘れてて、日付が変わったら切れちゃってたんだ。自分が悪いんだから、気にしないでよ。それより大丈夫なの? ワシのことはいいから、休んでいてよ。制服に着替えてくる」
荷物を置き、2階の自分の部屋へ消えていく息子の後ろ姿を思わず見送ってしまった。妙に堂々と、悠然として見えたから。ほんの2、3年前だったら「もうママ、何やってんのさ! なんで携帯のプリペイ入れといてくれなかったんだよ~」とか半泣きしていたような子が、一言も周りを責めることなく、淡々と対処いていたから。
胸が熱くなった。そうか、もう高校生なんだ、あの子も成長したもんだなぁ…と。
制服に着替えてくると、家を出る時間までニュンネでのことを話してくれた。日曜の午後は、お腹がすき過ぎて呼吸が浅くなってしまったこと。ベントリン(酸素吸引機)をつかっても息ができずに焦ったこと。それがセッションに入ると、不思議と楽になったこと。とりわけ五体投地をするほどに力がまた沸いてきて、セッションが終わったときにはエネルギーが漲っていたこと。それが休憩になると風船が萎むようにエネルギーが抜けてしまい、調子が悪くなってしまうのだ、と。
自分のニュンネ体験を思い出して、対照的なのでおかしくなった。日曜がどんどんキツくなってゆくのは同様だったけど、私の場合セッション中の方が辛かったのだ。とりわけ日曜日の午後や月曜のセッションなんて、もう座っているのがやっとで、五体投地なんてやるたびにますますヘロヘロヨロヨロしてしまい、殆どゾンビ状態だったんだ。セッションとセッションの間は即寝袋に横になって仮眠をとって、なんとか次のセッションに臨むという有様で…。
その日、息子は元気に学校へ行ったけど、私の方は腰が痛くて動けず寝込んでしまった。それでもどうしても落とせない仕事同様、リトリートもやらなくてはならないわけで…。娘に買ってきてもらった湿布とサポーターと痛み止めでなんとか瞑想場に座り、2時間半ほどの行をこなした。場は代えられないので、そのぶんクッションの枚数を変えて高さを調整しつつ。
あれからひと月近く経ったけど、今も腰痛は去ったり来たり…。これも浄化の行と考えて、クッションの枚数を変えてはリトリートの場に座り続けている (苦笑)。今回は短期集中型で濃いニュンネ・リトリートは逃してしまったけれど、細く長~い地道なリトリートを続けています。
にほんブログ村に参加しています。よろしければ応援クリックをお願いします(^^♪
コメントをお書きください